AKUはイタリアの登山靴ブランド

高品質な登山靴からタウンユースの靴まで製造、販売を続けているイタリアのブランド、それがAKU(アク)です。AKUと石井スポーツのパートナーシップな長年に渡り続いており、日本の正規取引店として今日まで関係が続いています。
そして今年AKUが日本に上陸して30年を迎えました。

単に仕入れをして販売する、という関係ではなく、お客様から寄せられるご要望、我々石井スポーツのスタッフからの要望は年に数回AKUの本社に届けられ、それが翌年の商品改善に活かされていきます。皆さんと共に成長する登山靴ブランド、それがAKUなのです。

AKU 日本上陸30周年記念限定モデル登場!

AKU日本上陸30周年記念限定モデルはAKUの定番ブーツ『コネロⅢ』をベースにしています。

1.8mmのオイルヌバックレザー

AKU社では様々な種類の靴が造られています。その中には特殊部隊用の靴も。今回はそんな特殊部隊用の靴で採用している、耐摩耗性が高い1.8mmのオイルヌバックレザーを特別に使用しており、耐久性が向上しています。

復刻ロゴ 採用

サイドのメインロゴ・タン部分のロゴは今では使われていない復刻ロゴ採用!クラシックな雰囲気が◎!

限定シリアルナンバー入り

AKU 30周年記念限定モデルは300足限定!サイズタグ内にはシリアルナンバーが表記されています。限定感UP!

CONERO 30TH LIMITED GTX

品名 / CONERO 30TH LIMITED GTX
アッパー/ヌバックレザー+Air8000+ マイクロファイバー+ラバーランドプロテクション ライニング / ゴアテックス
ソール / Vibram Foura
原産国 / イタリア
サイズ / UK6~UK10(25cm~29cm)
販売価格 / 41,800円 税込
限定数 / 300足 シリアル番号入
発売予定日 / 2022年3月より販売開始

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Interview & Special Talk

Vol.3 パオロ・ボールディン(AKU社長)× 中 真人(石井スポーツ前製靴工場長)

AKU×石井スポーツ30年のパートナーシップを支えるもの

石井スポーツが日本の正規取引店を務めるイタリアのトレッキングシューズ&登山靴ブランド、『AKU(アク)』。
日本上陸30周年に合わせて来日した社長のパオロ・ボールディン氏と石井スポーツが誇る靴職人、中真人のふたりが30年に及ぶ両社のパートナーシップを支えるものが何なのかを語り合いました。

互いにビジネスを真剣にやり仕事以外の人間関係も作り上げた

(中)AKU社がアウトドアキャンプスタイルin山中湖にブース出展。それに合わせてパオロ社長が来日するということで、ぜひお会いしたいと希望したところ、この対談が実現しました。今日はよろしくお願いします。

(パオロ)こちらこそ、よろしくお願いします。中さんは昔、AKU社に来てくれたこともありますし、ずっとコミュニケーションを取ってきているので、今日お会いできて光栄です。この工場(こうば/石井スポーツ製靴工場)も見学させてもらいましたが、本当に細かいところまでやられていて、そのプロフェッショナルさには感動しました。

(中)亡くなられたお父様(創立者のガリアーノさん)についてはお悔やみを申し上げます。

(パオロ)私の父は10歳で職人になって以来、ずっと良い靴を作りたいという一心で生きてきた人なので、中さんを見ると、そのことを思い出します。

(中)私がAKUを好きになったきっかけから話したいと思います。昔、AKUのデダロというモデルの甲の部分の生地にホツレが多発したことがありました。それを未然に防ぐための薬剤を持ってフィオレラとクラウディオの二人(当時の営業担当者と商品開発担当者)が来日、倉庫で一緒にホツレ止めの作業をしました。そのとき、フィオレラが「この靴は不良品だから外してください」と指摘。私たちが気づいていない不良を発見して、その靴を除外する姿を見て、「このメーカーはすごいぞ」と一発で好きになりました。

NEWS

(パオロ)30年の付き合いのなかでは、当然、いろいろな問題も起きてきました。そこで大切だったことは、お互いに正直な気持ちで向き合い、何か問題があったときでもそれを隠さず、それをどうやって解決していくかということをお互いにできたことです。そういうことの積み重ねで、30年の良い関係を築くことができたのではないかと思います。私が東京に来るときには、当然良い話で来たいのですが、ときには何か問題が起きて来なければならないこともあります。それは物を作っている以上、仕方のない部分でもあるので、お互いに問題を隠さず、どう解決するか、その道を探るお付き合いができたのはうれしいことです。

(中)もう16年前のことになりますが、イタリアで行なわれたAKUのセールスミーティングにも参加させてもらいました。それも良い思い出の一つです。

(パオロ)16年も前だなんて思えないんですけれど、あのときのことは今でも鮮明に覚えています。中さんが1日かけて私の父と一緒に工場の中を細かく見ていたことを、つい最近のことのように思い出します。

(中)私にとっては夢のような10日間で、最初はドロミテでミーティングをして、その後、モンテベローナに移動して工場見学という日程でした。このときのことで印象に残っているのは、パオロ夫妻がレストランに招待してくれたときのことです。

(パオロ)確かにご招待しましたが、どんなことがありましたか?

(中)夜、二人がディナーに招待してくれたのですが、食事の最中にワインを飲んでいたら眠くなってしまい、最後にはとうとう眠ってしまっていた。ふと気がついて、「寝てしまった!」と思って起きたら、二人がこちらを向いてにこにこ笑ってくれていた。そのとき「あぁ良かった、日本人も外国人も同じなんだな」と思いましたし、初めて外国人の友達ができたとも思いました。

(パオロ)私たちのパートナーシップが30年も続いてきたのは、もちろんお互いにビジネスを真剣にやってきたこともありますが、それと同時に仕事を離れた部分で良い人間関係を作れたことも、その理由の一つだと思います。仕事の話が終わったら、家族の話もするし、いろいろふざけた話もする。ときには激しく言い合うこともあるかもしれないけれど、逆に互いの肩をたたいて笑い合うこともある。そんな付き合いをずっと続けてこられたので、これからもそれを続けていきたいですね。中さんがAKU社に来てくれたのも、もう16年も前とのことなので、またぜひ来てもらいたいですね。

(中)それはぜひ。私も楽しみにしています。このセールスミーティングに行ったときに一番驚いたのは、スパイダーというモデルのことです。これは冬期用の登山靴なんですけれど、初めて見たときには「これは駄目だろう」と内心思っていました。でも、日本に帰ってきて、実際に使っている知り合いのガイドに聞いたら、「この靴はすごい。軽くて、暖かくて」と。これには本当にびっくりしました。

(パオロ)スパイダーは父が一番といって良いほど力を入れた靴で、革をいっさい使わずに、軽くて、薄くて、暖かい靴を作ろうと、4年という時間をかけて作ったモデルです。特に薄くて軽いということと、暖かいということは相反することなので、何回も試作を繰り返して作り上げました。当時、あのテクノロジーであの商品をマーケットに出せたことは自分たちの自信につながっていますし、マーケットにインパクトを与えられたとも思っています。ウィンターマーケットで実際にやっていけるという私たちの自信にもなった商品で、それ以降の発展につながったモデルです。

靴作りにかける思い

NEWS

(中)話は変わりますが、パオロ社長は学校を出てから、すぐにAKU社に入社したのですか。それとも別の会社で働いて、そのあとAKU社に入ったのですか。

(パオロ)大学を卒業してすぐにAKU社に入りました。そして、最初の3年間は工場で主に修理を行なっていました。この経験のおかげで、靴の細かいところがどうなっているのかを知ることができたので、とても良かったと思っています。靴を作るのはとてもすばらしい仕事で、私も大好きなんですけれど、一方ですごく大変な重労働でもある。だから、その3年間は、毎日毎日、本当に疲れ切っていましたね(笑)。

(中)私も最初はそうでした。1日働くと疲れてしまって、次の日曜日が来るのが待ち遠してくて待ち遠しくてという日々でしたね。

(パオロ)今は職人も増えてきたので、以前より少し楽になりました。でも、イタリアではこうした職人的な世界に若い人が入ることは少なくなってきているので、それは残念なのですが。

(中)(靴作りは)やれば面白いのですがね。

(パオロ)はい。靴作りというのは何千年も、何世紀も前からある職業で、それがいまだに続いているというのもめずらしいと思います。だから、すごく誇りに思っていますし、面白い仕事だと思っています。それは中さんも同じですよね。

(中)はい。靴作りの仕事は職人技的な部分がありますが、それを受け継いでいくことが良い靴を作り続けていくには欠かせないと思います。AKU社では、そうした技術の伝承をどういう形で行なっていますか。

(パオロ)父の遺してくれたものとして、靴作りの重要な部分がわかる人が残っています。そうした人をメインとして3人、全員で6人ぐらいのチームを作り、それぞれのパーツやそれぞれの部署で、しっかりとした知見を持った人間を育てています。誰か一人ということではなく、今はチームで靴作りをしています。

NEWS

(中)一つのモデルを作ろうとしたときに、どのぐらいの時間をかけるものですか。

(パオロ)新しいモデルの開発は、少なくとも2年以上かけて行ないます。アイディアからスタートして、それをどういう形で、どういうコンセプトのものにするかというところから始まり、実際の型紙、色、サンプルと決めていくと、少なくとも2年はかかります。先ほどお話ししたスパイダーのときは4年かかっていますし、フィールドテストを行ない、微修正を加えていったりすると、2年でも時間は足りないぐらいです。

(中)AKUのモデルのなかでも、私はコネロが好きなんです。だから、今回、30周年で記念モデルを作ってくれたことがとてもうれしい。社長としてではなく、個人としてパオロが特に好きなモデルというのはありますか。

(パオロ)実は私もコネロが好きで、何足も履いたし、思い入れもある靴です。あともう一つ、タイガというインジェクションの靴も個人的に好きなモデルです。特殊なマーケット向けの靴ですが、開発に力を入れたので思い入れの強い靴です。

(中)登山靴の未来は、どのように変わっていくと考えていますか。

(パオロ)アウトドアは、これからもしっかりと世の中に生き続けていくだろうと思っています。特にコロナ禍の影響もあり、今、アウトドアはよりフォーカスされてきています。ただ、ほかのマーケットもものすごい勢いで伸びてきているので、そこに負けないように、技術開発をしたり、革新性を持ったりして良いものを作り続け、しっかりと会社として生き残って生きたいと思います。

(中)最後に、AKU社の環境問題に対する取り組みを教えてください。

(パオロ)AKU社は、一足の靴を作るのに、どれぐらいのCO2を、どのぐらいの汚水を排出しているのかということを、靴業界で初めてすべて事細かに報告している会社です。それらのことに対して、どう責任を取っていくかということが非常に大切で、私たちは環境にインパクトを与えていることを認識したうえで、それをどうやって少しでも改善していくか、ということを今行なっているところです。そして、その結果を80ページに及ぶレポートとしてオフィシャルに発表する予定です。靴を作ることがどれぐらいの環境負荷を与えているかということだけでなく、会社として電気をどのぐらい使っているのか、それによる炭素排出量はどれぐらいなのかなど、すべて計算するシステムを入れたので、環境に与えるインパクトを2050年までに限りなくゼロに近づけるという目標を設定して、ものづくりの会社として、どう社会と共存していくかということを考えています。

(中)それはすばらしい取り組みですね。今日はどうもありがとうございました。

(パオロ)ありがとうございました。

Vol.1 越谷 英雄

登山本店スタッフ 越谷 英雄  Hideo Koshigaya

PROFILE

群馬県出身。石井スポーツアドバイザーとして、極地、ヒマラヤ、砂漠、熱帯雨林など地球上多くの登山、冒険、撮影隊などの装備をコーディネイトした経験を持つ。自身もヒマラヤ、ヨーロッパ、シベリア、グリーンランドなどで活動。日本スノーシューイング連盟常任理事。

石井スポーツがAKUを販売するきっかけは越谷さんと伺っています。AKUと越谷さんの出会いを教えて下さい。

1990年代前半、当時石井スポーツの営業の責任者をやっていたころだと思うんですが、取引先の紹介で「AKUっていう靴があるんでけどやってみない?」というのがきっかけでしたね。
そのあと、取引先の方と一緒にイタリアまで見に行きました。そのときにベニスの空港まで出迎えてくれたのが当時のAKUの社長のボールディンさんだったのが印象的でした。靴の町といわれるモンテベルーナの工場まで車で移動し、いろいろな靴を見せてもらいました。そこで実際に見て「この靴は日本の登山者にも受け入れられる」と確信しました。

AKUを石井で取り扱おうとおもった経緯は?

やはりその理由の1つとして社長の人柄、そして社長自らが工場にいって直したり、社長自らが靴をつくっていることがありました。そういう会社は少ないと思うんですよね。それから工場で働く人も熟練した職人たちで、そういうことにも安心しました。やはり職人が作っているからこそ、他との差が大きいなと思いました。

AKUの定番「コネロ」なんかみても完成度が高いんですよ。これならば製品の価値として十分通用するなと。そういう靴が何十年として継続できていくんだと思います。靴の良さ、信頼がなければ継続していけないですよ。 私は某番組でカルチャースクールを行っていますが、その生徒はソールを修理しながら15年間コネロを履き続けていますよ。コネロは手入れすれば劣化が少ないんですよ。

AKUの登山靴の印象はどうですか?他との違いを感じる部分はありますか?

私自身、コネロは屋久島やヒマラヤトレッキング、いまはヤツミネ、テング。その前はスパイダーを履いていた。AKUは先進的な部分もある。他のブランドと違いカラー使いが最高でしたね。

造りに関しても他メーカーとは全然ちがいます。中敷きは足に優しい低反発素材のもの、そして靴の内側は底面まで全面ゴアテックスです。AKU以外に底までゴアテックスを使っているところは少ないんですよ。AKUは靴メーカーで唯一ゴアテックス社から表彰されているんです。それはAKUのゴアテックスの使い方や真摯に靴づくりに取り組んでいる姿勢が評価されたのだと思います。

それから、底面にEVAというクッション材と土踏まずが盛り上がっています。これは、疲労による負荷を軽減させるための仕様になっています。これはAKUが人間工学をしっかり研究して開発しているということです。見えないところをしっかり作るメーカーだからこそ信頼を得られると思いますね。

また1991年に世界特許をとった「AIR8000」という素材をゴアテックスと組み合わせて靴をつくっていたんですよ。靴の内側にゴアテックス、外側の生地に「AIR8000」という形で。他のメーカーは外側の生地は防水コーティングの生地を使っていたんです。ゴアテックスが湿気を逃がしても防水生地で止めてしまう、だけど、AKUは「AIR8000」を使っているので湿気を逃がすんです。AKUのLABOテストだと透湿性で11.5倍の差が出たそうです。

AKUの印象は?

誠実さ。社長の人柄が職人的で、靴づくりを行いながら我々の意見を取り入れてくれる。納品される靴に対して起きるいろいろなトラブルや故障、問題点を毎年伝えていたんですよ。それに誠実に応えてくれ改良してくれたんです。その信頼関係でここまで(30周年)来たんです。

印象深い出来事として、当時コネロの中間材とソールの硬さのバランスがとれていなく、かかとの部分がはがれやすい状態だったものを、中間材の硬度を指定し伝えたところ、対応してくれたことがありました。それ以来、はがれなくなりました。すぐ取り入れてくれてテストしてくれる、それがありがたいなと思いましたね。そういった現場の声に真摯に対応してくれる、それが信頼関係につながっていますね。

今後のAKUに期待することは?

他社にない、信頼性のある靴づくりを続けてほしい。あとイタリアらしさを出してほしい。一部のシューレースについている「MADEinITALY」のような紙タグみたいなのはもっとやった方がいいんじゃないかな。

越谷 英雄が在籍する▶ 石井スポーツ登山本店をみる

Vol.2 中 真人

石井スポーツ前製靴工場長 中 真人  Masato Naka

PROFILE

和歌山県出身。登山靴職人を目指すきっかけは1冊の石井スポーツのカタログから。基本的に“できない”と言いたくない性格のため、登山靴のみならずスキーブーツからザックまで幅広く対応できるスキルを持つ。靴をパーフェクトに作れる技能を求め、今なお技術を進化させているレジェンド職人。

コネロが一番好きなモデルと伺いました。コネロが好きな理由を教えて下さい。

奥多摩に家族でキャンプにいったんです。コネロを履いて。当時は車がないので、家族の荷物もすべて自分のザックに詰め込んだんです。まだ子供も低学年だったので子供の荷物から食材、ビールを詰め込んで32kg程になったんですよ(笑)。

それで実際に山道を歩いている時に足がブレなかったんです。ふつうは30kgほどの荷物をかついでいるとちょっと斜めになると荷物に引っ張られて足がブレる。それがなかったんですね。きちっと止めてくれる、足元が何ともないんですよ。この靴すげーなと思いましたね。それ以来、お気に入りの一足になりました。

実際にAKUを履いて良さを実感したんですね。

私の中ではAKUは最初、数あるメーカーの一つでした。ですが実際にAKUを履いてみて、なんでコネロはぶれないんだろうと自分で分析してみたら、底の硬さと上物の硬さのバランスがすごくいいんです。底だけが硬過ぎてもだめだし、その逆もそうです。トータルバランスが素晴らしいんだと思います。

AKUにはコネロはいい靴なので定番で続けてほしいと言っています。それに応えてくれて今でも定番品として販売できています。だからコネロはコネロ3という形でアップデートしながら定番品としていまもAKUの主力としてあります。

同じ靴職人から見たAKUはどのように感じますか?

靴を修理していて、不具合がある箇所を伝えると検証しながら改善してくれる。現場の声を吸い上げてよりよいものを作ろうという姿勢がAKUの良さじゃないですかね。

以前、AKUの工場に行ったときに、職人の方が実際に作業しているところを隠すのではなく見てくれといわんばかりに手招きして見せてくれたんです。それはうれしかったですね。職人たちに自信があると感じました。その自信がものづくりのクオリティに現れているのだと思います。